uwabami days

アーティスト活動を生業とする三鷹在住アートユニットuwabamiの日々

赤さん 8 小児病棟 計測地獄!

2020年4月に母になった、はらだの独り言のような子育て日記ブログ。徒然なるままに書きました。

 

4月13日術後8日目(生後11日)後半

 無事小児病棟に移った赤さん(娘)は痩せたには痩せたけど元気で搾母乳もゴクゴク飲んでいた!お世話ができるようになった我々はオムツ替え一つとっても感慨深い!

うんちしてるよ〜!!わー!!ちゃんと出てる〜!!!写真撮っちゃおう〜みたいな笑

爪切りしてあげたり、抱っこしたり、ここぞとばかりに構ってあげる。
足につけた血圧などを測ると思われる装置以外はもう管類はほとんど取れた。
しかし抱っこの時などにその装置を一緒に抱っこしないといけないのだけが面倒な感じ。重さはスマホくらいの重さだけど、コードが絡まって持ちにくい。
そして19:20分、術後初の直母乳〜!!!!!
飲んでる〜!ちょっとだけど頑張って飲んでる〜!!!!!本能ってすごいな〜!!!そして生きる力ってスゲ〜!!!!!

面会時間ギリギリの20:00くらいまで病院で過ごし、明日から付き添いをお願いしたいと言われ、説明を聞く。小児病棟は基本的には父か母が付き添いをするらしい。基本は母。4人部屋だし、父の場合は個人部屋を追加料金で借りないといけないらしいので、ひとまず母が付き添うことに。付き添いは簡易ソファーをベッドにし、寝具を1日300円で1階のローソンで申し込む仕組み。親の食事は自分で用意。シャワーは20分で浴びてください等その他諸々ルールを色々説明してもらったけど、自分も寝不足だし我が子の回復の喜びで頭ポワッっとしてるしよくわからない。ひとまず明日から我が子と24時間一緒にいれるのだから付き添うべきと思い、翌日からお試しでまず1日付き添うことに。

しかし、これはそう簡単なものではなかったのだ!!!

 

4月14日術後9日目(生後12日)

実はム父さんの誕生日である。しかし、お互い誕生日なんてあまり意識していなかった。赤さんの回復がある意味誕生日プレゼントだな〜抱っこできるだけで嬉しいな〜なんて思っていた。付き添い入院の準備をして、お昼12時ごろ頃病院に到着。
まるでかぐや姫のようにバスタオルに包まれた赤さんはスヤスヤと眠っていた。天使。

父の抱っこが嬉しいのかニッコリスマイルを見せてくれてもう嬉しくてメロメロ。
直母乳も少しずつ練習して、ゆっくり飲めるようになってきている。
そうなのだ。なんで直母乳を飲めているかどうか分かるんだ?と思う方もいるでしょう。そうです、そうなんです。直接母乳の度に毎回体重を測っているのです!!!!!

これがめっちゃ厄介!!!!!
うんち&おしっこも毎回計測して時間や重さを記録するのですが、母乳を飲ませる時も計測しないといけないのです!
ただでさえ、まだ抱っこするのも慣れていないのに、足についた計測装置を外れないように抱っこして体重計のあるホールまで行き、体重を測り、おっぱいを飲ませ、せっかく眠ったりしている子を抱えてまた体重を測りにホールへ行き、体重計に乗せると起きて泣くのでまた抱っこして寝せて。。。という手間が発生するのです!
ちなみにうんちやおしっこも毎回子ども用トイレに置いてあるスケール(料理用みたいなg単位で分かるスケール)までオムツを持って行って計測しないといけません。時間と回数も記録するので、もはや赤さんが眠った隙に測りに行くしかない!
ム父さんがいてくれた19時まではよかったけど、そこから先は私一人で全部やらないといけない!この計測地獄は想定外だった!!!こんなに大変だとは!!!
当たり前だけどベッドを離れるときは必ずベットの柵をつけなければならないので自分のトイレに行く時でもさっとは行けない。とにかく空き時間がほとんどない!!!
直接母乳の時は体重も計らないといけないので大変だから結局合間で搾乳して、それも計測して飲ませないといけないし、気づいたら夜が明け、一睡もできなかった!!!!!30代で初めての完全徹夜を味わった!

4月15日術後10日目(生後13日)

そんな訳で、赤さんをあやしながら白んでくる空と朝の富士山を眺めつつ(病棟から富士山が見えるのは癒された)一睡もできなかった震える体で思ったのは「今日も付き添いは無理!!!」という事でした笑 
新米母の私には赤ちゃんの事もよくわからないし、自分の体もまだ治ってないし(鎮痛剤を切らすとダメな状態がまだ続いていた)、病院のシステムもわからないし、これは続けたら自分が倒れる、と思いました。もちろん、病院のスタッフさんを捕まえて相談して、ちょっと見ててください!とか、多少赤さんが泣いてても気にしないくらいのメンタルがあればよかっただけなのですが、いかんせん、私の産後のメンタルは非常に弱っており、赤さんが泣けばオロオロし、スタッフさんに頼る頼り方もままならず、ただひたすら、早く退院してム父さんと一緒に穏やかにお家で育児がしたい、この計測地獄から一刻も早く脱したいと切に願うばかり。
11時ごろム父さんと合流してようやく仮眠。泥のように眠る。
担当医の先生に「付き添いどうでしたか?」と聞かれ、「一睡もできませんでした!!!」と元気よく答えてしまった。本当に眠れなかったのだから仕方ない。
そして、自分の身体のためにも、面会時間の最初から最後まで病院に来るけど、夜は家で休もうと思います、と思い切って相談。あっけなく了承を得た。赤さんには申し訳ないけど、完徹をもう一日するほど私には体力がなかった。ごめん!そして内心家に帰れると思うとホッとした。
その日も1日ム父さんと交代で計測地獄をすり抜け、動画を撮ったりしながら赤さんの仕草に一喜一憂して過ごしていた。
すると我々の切実な願いが通じたのか、「赤さんはすこぶる順調に回復しているので、最速で明後日退院出来るかも!?」と担当医の先生からのお話!嬉しすぎる!!!!!
20:00前、最後の直接母乳を済ませ、また明日来るからね、言って帰宅。数時間後にはまた会えるのに、別れ際はやっぱり寂しい。メンタル弱ってるから涙も出る。
そして帰宅するとまた泥のように眠った。でも搾乳の時間になるとタイマーのように必ず目が覚めるから、人体の不思議。


4月16日術後11日目(生後14日)

この日はたくさん検査があって、朝からバタついていた。
付き添いをしないとなると、コロナの関係で両親揃っての面会ができなくなる。ム父さんと交代で赤さんのお世話をするのだが、検査があると時間が前後してお互いなかなか直接赤さんに会えない。そのため直接母乳を飲ませられないので搾乳をして過ごす。
16時ごろ、寝不足がまだ抜けきらず、待合室でうたた寝をしていると、突然、担当医の先生が来て

「お母さん、明日退院できますよ!」
と声をかけてくれた。

遂に!!!!!

退院が決まった〜!!!!!バンザ〜イ!!!!!!!

その先生の明るく元気な声が私には神様の声のように聞こえた。神様の声なんて聞いたことないけど笑 そのくらい嬉しかった!

そこからは退院準備の説明が盛りだくさん。

術後の傷の事で異変があった場合の連絡先(写メで外科医の先生に直接相談できるというありがたい仕組み)、予防接種は退院後3ヶ月はしない事(輸血の関係らしい)、腕を強く引っ張らない事(術後間もないので胸が開いてしまうことがあるそうだ。恐ろしい)、1日3回循環機能を補助する薬を飲ませ続ける事、へそのをがまだ取れていないのでそのケアのことなどなど。
それでも明日退院できるのだというだけでメチャ嬉しくて「はい!何でもします!」と言いたいくらいだった。
その日も20時前まで面会し、「明日三鷹に帰れるよ〜!マイスウィートホームだよ〜!やったね〜!」と赤さんに声がけし、ウキウキと帰宅。

 


4月17日術後12日目(生後15日)

遂にセレモニードレス、そして妊娠中に編んだおくるみを使う日が来た!
退院時はせっかくなので記念写真を撮ってもらった。
こんなに早い退院は異例らしいけど、とにかく退院できるんだからオールオッケ〜!
コロナがあったり、入院数が増えてベッドが足りなくなったのかもしれないし、我が家が帰宅しても夫婦揃って育児できるから先生がOKしてくれたのかもしれないけどとにかく退院は退院だ!
2日くらい前に先生から「早く退院したいですか?」って聞かれて、え?当たり前じゃん!って思ったけど、ワンオペのお母さんとかは早く退院しすぎると家で余計に大変だから、落ち着くまで付き添い入院する人も多い、と聞いてなるほど、それもそうなのか。とも思った。

確かに最初の説明では退院まで3ヶ月くらいはかかると思ってくださいって言われたな。搾乳用のフリーザーパック大量に余っちゃったYO!なんて浮かれている。
退院前に直接母乳の姿勢のアドバイスなんかもしてもらい、手術してくれた外科医の先生とも少しお話ができ、とにかく感謝でいっぱいだった。
そして嬉しかったのは「基本的に普通の子と同じように育ててあげてください。次回は1ヶ月検診の時に会いましょう。またね〜」と担当医の先生が言ってくれた事。
手術の影響で稀に障害を持ってしまったりというケースもある。でもそういう子は小児科の先生が見ればだいたいすぐ分かるそう。言語の障害などは大きくならないと分からない事もあるけど、そういうケアも含めて定期検診をしてくださるそうだ。
もちろん退院して何かあったら…とか、障害とか出てきた時に自分は気づいてあげられるのか?など不安がゼロなわけじゃないけど、不安がっても仕方ない。
とにかく赤さんの生きる力を信じて全力で愛情を注ぐ事しか私には出来ないし、それがベストなのだろうと思う。

お昼過ぎ、退院手続きが全て完了し、タクシーで帰宅。
ああ、この柔らかくてふにゃふにゃの生き物が遂に家にやってくるのだ!
赤さんは移動中もスヤスヤと眠っており、とてもお利口であった。

ようやく私の母にも会わせることができ、三鷹でのニューライフがスタートするのだった。

出産時3720gで生まれた赤さんの体重は3280gまで激減して退院した。
そうなのだ、きっとこの手術の事を生まれる前から知っていて、大きく生まれたに違いない、と私は思う。さすが我が子、と思う親バカなのでした。


多分続く。

赤さん 7 NICU(新生児集中治療室)

2020年4月に母になった、はらだの独り言のような子育て日記ブログ。徒然なるままに書きました。

 

4月10日術後5日目(生後8日)

榊原記念病院に通うのもだいぶ慣れ、タクシーじゃなくても身体も大丈夫そうなので、Googleマップの職場に病院を登録した。これでルート検索が簡単に。我が家から病院までは時間によって乗り継ぎが違い、うまくやらないとなかなか辿り着けない。職場として登録し、その時一番良さそうなルートで行こう。実際、出勤するように毎日通っているし。これが私の今の仕事だし!

NICUに移動すると、少し生活感が増し、両親がある程度のお世話をする事ができるようになる。面会可能時間も長くなり、コロナ対策で両親のどちらか一人だけ入室というルールはあるけれど、交代で会えば1日に父と母の両方が面会できるようになった。

 

具体的にお世話とは、スタッフさんがついてくれ、抱っこしてミルクや搾乳した母乳を解凍して哺乳瓶に入れたものをあげたり(まだ直接母乳は体力的に厳しいのであげれない)、沐浴をしたり、身体を拭いてあげたり、オムツを替えてあげたりできるようになる。

また、着替えやバスタオル、ボディーソープやボディーミルク等が必要になり、全てのものに名前を書き、病院に置いておく事になる。

 

NICUに移動する前日の夜、私は張り切って着替えやバスタオルに赤さんのネームタグを刺繍して縫いつけた。寝不足でフラフラだったが、油性ペンでただ名前を書くのに抵抗があり、どうしても刺繍したかった。しかもタオルの柄などに色を合わせて全部違う色にしたいという謎こだわりが発動。手伝いに来ていた私の母にも指示を出しつつ、下着やタオルなど全部で7種類縫いつけ、満足した。

こういう謎の努力が、私にとって大切だった。

赤さんにしてあげられる事があるだけで気持ちが安らぐ気がした。

 

そしてNICUに移動した4月10日、なんとム父さんは初抱っこできたのだ!!!!!

ム父さんは父親として認めてもらうべく、積極的に搾母乳をあげたり、沐浴をしたりして過ごしたそうで。スタッフさんから、「お父さん、すごく積極的にお世話してくれてましたよー!」と報告が 笑。

そうだよねー、私は産んで1日半一緒に過ごしてるけど、ム父さんはコロナで面会できなかったから今初めてちゃんと抱っこできたんだよねぇ。

赤さんは初めての父抱っこの中、ゴクゴクと幸せそうに搾母乳を飲んでいた。(動画を撮ってもらった)哺乳瓶で飲むのも運動。最初は管を通してしか飲めなかったのに、哺乳瓶から飲めているというだけで感動!そして目が開いている所を見れたのも感動!!!二重かな?なんて待合室でム父さんとキャッキャと話したりして。

そして先生から「言うことは何もないくらい順調です」と笑顔で言ってもらい、またまた親バカ発動。さすが赤さんだと賞賛。
本当に面会の時間があっという間。しかし、ほこほこしたあったかい気持ちで赤さんを賞賛しながらム父さんと帰宅できるのが今はありがたい。

 

4月11日術後6日目(生後9日)

今日はおしっこ用の管が取れた!!!

瞬きもたくさんして、キョロキョロ目を動かし、搾母乳も一回30から40mlくらい飲めるようになった。今日は私が抱っこして搾母乳をあげる事ができた。まだ管が色々ついているので、それらが抜けたりしないよう、バスタオルで包んだまま抱っこする。久々の授乳だ。というか、哺乳瓶であげるのって、もしかして初めてだったのかも。哺乳瓶を赤さんの口にあてると迷わずゴクゴクのむ。しっかり食べて、しっかり眠る。本能で生きている。本当に生命力ってすごいなぁと改めて思う。

 

赤さんがちゃんと搾母乳を飲んでくれるので、私も3時間おきの搾乳を張り切ってやっていた。夜中でもちゃんとタイマーのように目覚めて、夜な夜な搾乳する習慣がついていた。最初は10mlくらいしか出なかったのに、今は1回50mlくらい搾乳できるようになった。母乳とは本当に人体の不思議である。何故産むと出てくるのか?

 

4月12日術後7日(生後10日)

今日も元気に出勤ー!笑

毎日順調に回復する赤さんが嬉しくて、通院も楽しい。今日は搾母乳を50ずつ飲んだ赤さん。飲みっぷりも豪快で素晴らしい。そして、鼻の穴の管が細くなって鼻が見えるようになったのがまた嬉しい!!!

先生からは「これからどんどん管が取れますよ〜」と言ってもらえ、嬉しくて待合室で小躍りする両親たち 笑

 

指しゃぶりする所が見れたり、声をだしたり、両目でこちらをじっと見てくれているだけで面白い。眠る時のポーズが妊娠中のエコー写真で見てたポーズと同じで微笑ましい。左手を顎の下に持ってきて首を傾げてるようなポーズ。

 

ちょっと前から気になっていたのが、おしゃぶり的役割だと思われる哺乳瓶の乳首がベッド脇に常に置かれている事。

このNICU(PICUもくっついている)にはたくさんの子供たちがいる。全部で15台以上はあるであろうベッドはほぼ満室。それだけ命の危険に晒される子供達が日々駆け込んでくる、という事なのだろうか。スタッフさんがいつも忙しそうで、子供に対してちょっと人数が足りないのでは?という印象を受ける。もちろん、皆様丁寧に子供達を看てくれているのだろうけど。

この哺乳瓶の乳首は、きっと赤ちゃん達を鎮めるためのものなんだと思われるが、これをテープで口にとめている事がある。安全のためにもそうするのだろうけど、なんか少し可哀想な気がしてしまうのだ。

早く元気になって退院できたらいいなぁと改めて思う。

 

4月13日術後8日目(生後11日)

今日も元気に出勤ー!とバスで病院に向かっていると、なんと榊原記念病院から電話がかかってきた!ドキドキドキドキ心拍数があがる私。何か問題でもあったのか?!これはもしかしたら緊急かもしれないから電話に出よう。

「もしもし?」

「あ、赤さんのお母さんですか?どうも。担当医です。今ってもう病院向かってますか?」

「は、はい。今向かってます。(バスの中だし、緊張もあってかなり弱々しい声)」

「そうですか。ならー、、、そのまま来てください。」

「は、はい。(おそるおそる)」

「あ、悪い知らせとかじゃないので心配しないでくださいね。」

「あ、ホッとしました〜。(早く言ってくれぇー!!!)」

「着いたら説明しますので、手術の説明した面談室に来てください」

「は、はい。ありがとうございます(何の説明???)」

「ではまた後ほど〜」

「は、はい。よろしくお願いします。(フランクだなぁ)」

電話を切った後、一息つく。

そういえばもしかしたら小児病棟に移るかもしれないと昨日帰る時にスタッフさんが言ってたからその説明かな?という事は順調なのかしら???

 

到着すると、何と赤さんは小児病棟へ既に移っていた!とても回復が順調なのと、NICUのベッドが足りない事もあり、今一番状態のいい赤さんが小児病棟に移る事になったのだ!

 

そして、顔の管が全部取れてる!!!もう自力で呼吸できるんだねぇ!赤さんの肺も頑張って回復したんだねぇー!!!すごいぞー!!!

 

 

続く。

 

赤さん 6 ICU(集中治療室)

2020年4月に母になった、はらだの独り言のような子育て日記ブログ。徒然なるままに書きました。

 

4月6日の午後、産院を早期退院できた私は、そのままタクシーで榊原記念病院へ。

13時に赤さんとの面会許可が出たので(時間も電話で相談して面会できるようにしてもらった)1秒でも長く赤さんの側で応援できるよう、ム父さんと合流してかけつけた。

 

ICUは面会人数や時間に制限があるのでインターホンで係の人を呼び、熱をはかったり、手洗いや消毒をしっかりし、もちろんマスクも着用して中に入る。荷物は待合室のロッカーに入る。当時はコロナが流行り始めたばかりだったので、この後だんだんと制限が多くなっていくのだが、4月6日の時点ではまだ厳しすぎない感じだった。

このICUの中にはたくさんの弱った命があるのだから、自分の不注意で新型コロナウィルスのような爆弾を持ち込んでは絶対にいけないと、毎回手洗い、消毒など入念にし、気が引き締まる思いだった。

 

係の人に案内されて、赤さんの側に行くと、自然と涙が溢れてくる。笑いながらも何故か泣いてしまう。「がんばったねー。すごいねぇ。さすが赤さんだねぇ!しっかり休んで早く元気になるんだよ〜」と何度も声をかける。

触ってもいいと言われたので管がついて包帯が巻かれている手をさすったり、少しだけ頭を撫でたりする。

赤さんはほとんどの時間、こんこんと眠っているようだった。

「いい夢みるんだよ〜。赤さんはなんにでもなれるんだからねぇ〜。元気になったらいっぱいあそぼうねぇ。」

など色々声をかけてみる。

 

先生からは「拒絶反応などもなく、安定しているのでこのまま様子をみます。」という説明を受け、またしてもありがとうございます!本当ありがとうございます!のただただ感謝。

 

本当に皆様優しくて、多分面会時間オーバーしてた(写真を見返すと1時間以上いた気がする)のに我々を見過ごしてくれていた気がする。

帰る時には「明日も来るよ。しっかり休んで、早く元気になってね!」と声をかけて去る。

今は搾乳した母乳を冷凍して届ける事と、限られた面会時間に声をかけてあげるくらいしかできないけど、たった1時間でも側にいれることが嬉しかった。

 

明日も来る、と言ったものの、4月7日からは全面的にコロナ対策で面会は両親のうち1人だけ、30分のみになるとの事。

こればかりは仕方ないのでム父と母らだが交互に来ることにした。

7日、私は全力で休む事にし、面会はム父さんのみにお願いした。早期退院したとはいえ、痛み止めは6時間おきに飲まないといけないほどまだ痛かったし、悪露の量もすごかったから貧血だし、私は自宅でモリモリごはんを食べてぐっすり眠り、3時間おきに搾乳し続ける事に専念した。

母乳配達人としてム父さんを派遣し、ム父さんが面会しているであろう時間は私も念を送るように赤さんに声をかけた。家でぶつぶつ赤さんに声をかける私を見て、私の母(手伝いに来てもらっていた)はさぞ不憫に思ったかもしれない。一見するとちょっと精神病んでそうに見えたかもしれない 笑

でもこうして念を送ったり身体を回復させたり搾乳をしていると、やれる事をちゃんとやっている気がするから精神的にも良い気がした。

 

ム父さんの報告によると、赤さんは順調に回復し、おしっこもちゃんと出ているので、少しずつ管を取っていくとの事。やったー!すごいぞ!赤さん!!!まずは一安心。1日無事に過ごせただけでとても嬉しく感じる。

 

4日8日、術後3日目。

私は1日ぶりの我が子に会えるのが嬉しかった。一人で行くのはまだ体調的にも不安なので、ム父さんと一緒にタクシーで病院へ。ム父さんは待合室で待ち、私だけ面会する。

いた〜!!!

いるのは当たり前なんだけど、ICUの機械がいっぱいあったりする部屋の中に我が子がちゃんといる!というだけで嬉しくてまた自然と涙が出る。

面会中、赤さんがくしゃみをしただけでもう嬉しくて身悶えた。口をもきゅもきゅしてたり、手ももう動いていて、確実に回復が見てとれた。
前回あったゴッツイ機械がなくなっていて、お腹の管もとれてて、もう少ししたら鼻の管もとれて、声が聞けるかも、との事!
さすが赤さん、スーパーガールだ!!!と謎に誇らしく思う。既に親バカ開始である。でも本当に嬉しくて、子供の為なら何でもできるという人の気持ちが分かる気がした。今なら映画とか小説とかである、子供の為なら命捧げます的な親の気持ち分かる気がする。

スタッフの方が今どんな治療をしているか説明してくださり、記念写真も撮ってくださり、本当、また感謝感謝。面会時間30分が一瞬で終わり、まだ夢を見ているみたい。

この日はお七夜なので、帰宅後に赤さんの名前を筆で書いて、我が家の小さな神棚にあげた。どうか、早く回復して、健やかに過ごせますように。。。こんな時は神様に手を合わせるのもいい気がする。

 

4月9日術後4日目。

とにかく順調!驚異的な回復力でNICU(新生児集中治療室)に移動が決定!口の管も取れて表情がだいぶ分かるようになったぞー!

肺の圧力はまだ様子を見てる状態ではあるが、今月中には退院できるかも、と担当医の先生から嬉しすぎる報告が!感謝しかない!!!!

外は春らしくなり、我が家の小さな庭には赤さんが産まれたら見せたいという理由で植えた花が咲いていた。

私は嬉しくてこの日、スマホに謎なメモを残していた。

みんな、ありがとう!!!

世界は美しい!!!!

赤さん、愛してる!!!!!

 

 

そんな訳で、赤さんのICU生活は終わり、NICUでの生活が始まる。

 

 

続く。

赤さん 5 感謝の連続

2020年4月に母になった、はらだの独り言のような子育て日記ブログ。徒然なるままに書きました。

 

赤さんブログ4まで書き、たくさんの方々から感想をいただいて嬉しかったので少しずつ続きを書こうと思います。

4までは忘れないよう、当時すぐに書いた日記をほとんど手直しせず載せましたが、5からは短いメモから思い出しながら書いているのでちょっと雰囲気が変わるかもしれません。

誰かの役にたてば嬉しいです(^^)

 

 

そんな訳で4月5日、無事赤さんの手術が成功してICUの待合室でひとしきり泣き終えた後、ムトウ氏の両親と、我が家に手伝いに来てくれていた私の母にだけ、赤さんの手術の成功の連絡をし、産院に戻った。兄夫婦はつい2か月前に子供が誕生したばかりだったので、今話すとすごく心配させてしまうだろうと思ってまだ話さなかった。もう少し落ち着いて自分で説明がうまくできるようになったら連絡しよう。

 

産院に戻ると「ムトウさぁーん!大変でしたね!」と駆け寄ってくれる助産師さんたち。「早期発見でよかったですね!しかも榊原記念病院で本当によかった!今はしっかりお母さんの身体を休めてくださいね!」と声をかけてくれる。

そう、終始一貫して産院の助産師さん、小児科・小児外科の先生、手術をした病院の方々皆さんが、私のメンタルを気遣ってくれている事がよく分かった。

まず、だれも私に「かわいそう」と言わない。

常にマイナスなイメージを持たせないようにしてくれている。

 

産院ではさりげなく部屋を移動して、赤ちゃんの泣き声があまり聞こえない部屋にしてくれた。(多分思い出して悲しくならないように)

そして何より今やれる事を教えてくれる!!!これが非常にありがたかった。

赤さんは手術後3カ月は入院だと思ってくださいと言われていたので、私がまず頑張るべきは自分の身体を回復させる事と搾乳だった。

 

最初にちゃんと出さないとおっぱいが出なくなるかもしれないと思い、ほぼ毎日きっちり3時間おきに搾乳した。搾乳の仕方は手で搾乳するやり方を産院の助産師さんに教えてもらったのでいつでもどこでも搾乳できるようになった。正に自分がポータブル母乳マシーン!

 

そして次の日の4月6日も赤さんがいる病院の医師の説明と面会時間が限られているため、なんとか面会に行きたいと相談すると、早期退院できる事に!やった!!私の回復が早いから、1日早く退院してもいいとの事!感謝感謝!

おかげでギリギリ両親揃って面会に行ける最後のチャンスを掴めた。

コロナ対策として、ICUに入れる時間と人数が限られることになったからだ。

産院では産後の親の健診も子供の様子を見ながら電話などでしましょうとなり、さらにはお守りに〜と当時手に入らなくなっていた消毒ジェルをこっそりくれたり。退院手続きもスムーズで、本当に助かったしありがたかった。

 

思い返せば榊原記念病院でも到着した最初から気遣ってもらっていた。まずはオムツとおしりふきが必ずいるので先生の説明まで時間があるのでよかったら買ってきてください、と言われ、深夜のドラッグストアに買いに行った時も、ネガティブなイメージになる事を全く言わなかった。

先生の説明までの時間も、子供の名前の候補の話をしたり、私の金髪を褒めてくれたり、我々が仲が良いけどどこで出会ったんですかー?など、深刻になりすぎないように話題をふってくれたり。

毎日忙しいだろうし、次から次へと患者さんが来るし、命の危険と隣り合わせで緊迫する職場のはずのに、、、

皆様すごすぎます!!!

尊敬します!!!

とにかく感謝の連続でしかない!!!

 

そして今回現代医療の凄さにも感謝。

前回までのブログで赤さんの心臓に肺静脈が無いと書いたが、もう少し詳しく書くと、肺静脈にあたる血管が、心臓の変な場所にくっついているため、動脈血と静脈血が混ざってしまい、酸素がうまく運べないという状態だったのだ。

右心房左心房右心室左心室は正常に動いているため、妊婦検診のエコーではなかなか見つかりにくいもので、肺呼吸が始まり、呼吸が浅くなってきたから見つかった。

産院で溶連菌による何かもしれないと検査を進めるうちに、心臓に原因があるとその日のうちに発覚した事がまずすごい。家から近いという理由で選んだ産院(杏林大学病院)だったが、ここで産むことにしてよかった。気づいたのは小児外科の先生だったようだ。そして速やかに榊原記念病院に転院、翌日手術というスピードよ!!

まず、手術前に心臓の詳細な3Dスキャンをし、どの血管がどうくっついているか、どの血管が細くてどの血管が太いか、赤さんの場合どのような手術をすれば一番良いかの計画を全て担当の小児科の先生とオペする外科の先生が直接話してくれた。

全て図解してくれるし、分かりやすく、丁寧。

マジですごいよ、日本の医療!

心臓の図解するマシン作ってる人もすごいし、検査する薬とか、麻酔とか作ってる人もすごいし、全体的な衛生面とかもすごいし、掃除してる人とかもありがたいし、もう色々全部感謝しかないわぁ。

もし江戸時代に私が赤さんを産んでたら、まず私が出産うまくできなくて生きられない、赤さん産まれても生きられない、ム父さんもショックで生きられない!ってなってたわ。きっと。

現代でよかった〜〜〜!

そしてこれがほぼ全て無料というのがまた驚き桃の木である。国保に入っていたため、乳幼児は医療費がかからないのだ。

赤さんの手術費は保険なしだと、ななななんと、1000万円超えだった!入院当時はお金の事など完全に忘れていたが、退院時に明細をみて目をまんまるくしたことは言うまでもない。

税金よ、納税者の皆様よ、ありがとうと言いたい。私もちゃんと納めるよ、、、税金。

この時初めて日本という国の制度に感謝した気がする。

 

今回は日本の医療に感謝という事を書きたかった。新型コロナウィルスで大変な中も現在進行形で頑張ってくれている医療従事者の皆様に本当に本当に感謝したい。

 

その後の赤さんの様子、ICUでの事については次回へ続く。

ひゅーいさんの曲

親になって、色々書き留めておこうと思うようになったので、備忘録的につらつら書きます、母らだです。

 

 

石崎ひゅーいさんのNamidaは9ヶ月経った今聴いても涙腺が崩壊する。

ひゅーいさんはきっと全然違うイメージで作った曲だろうと思うけど、私には我が子の手術の時の気持ちと重なって、ひたすら涙が出てしまう。文字通り涙が溢れてしまうからまだ聴けない笑

 

泣き虫だった私が、良い相方に出会ったおかげでほとんど泣かなくなったのに、久々に息が詰まるほど号泣したのがあの時だった。

 

手術後の通院中も、どんな曲を聴いても泣いてしまって、何も聴けなかった。

となりのトトロの「さんぽ」ですら自分の娘が成長して歩く姿を想像して泣いてしまった。私は元気って言ってほしい。なーんて。

 

ひゅーいさんのNamidaは娘退院後に、iPhoneのシャッフルでたまたまかかった時、衝撃を受けた。ひゅーいさんの特徴的な声が飛び込んできて、歌詞にハッとしたらもう泣いていた。

出産前にこの曲をつけたツアービジュアルアニメを描かせてもらっていたんだけど、そのアニメを作っていた頃は、いい曲だなぁーくらいで、そんなに衝撃はなかったのだけど、産後のホルモン異常のせいか、激しく衝撃を受けてしまった笑

産後9ヶ月経ったし、今なら聴けるかと、久々にバスで一人になったので聴いてみたら、全然ダメで号泣。バスでひたすら静かに泣いてる変なオバサンと化してしまった!まだホルモン異常なのか?!いい曲すぎるのか???

 

親になるって本当に不思議な体験だ。

私を親にしてくれてありがとうと娘に言いたい。それにしても親にならないと分からない事が山ほどあるんだと、身に染みている。

 

オムツを換えながら、あ、今私、赤ちゃんのお世話してる。と妙に客観的になったりもする。

そしてこんな可愛い生き物を見た事がないと本当に思う。

自分の親達にもすごく感謝する。

私は結婚式をしなかったし、する予定も無いけど、よく結婚式である、娘から両親への手紙を読んだりするイベントをやったら間違いなく号泣してしまうだろう。無償の愛とはこれか?!

 

そんな事をつらつら考えたのでした。