2019年6月エルサレム周辺を初観光しました!聖地ってどんな所?危なくない?日本人みたいな無宗教の人が行けるの?様々な疑問を抱えながらドキドキワクワク、エルサレム&パレスチナ自治区を観光してきました!長くなりそうなのでここでは神殿の丘中心に書こうと思います〜。
みんな気になる3つの宗教の聖地が集まる場所って?
エルサレムには3大一神教の聖地が集結しているといいますが、実際はどんな場所で何が何教の聖地なのかよく分からなかったりしますよね。
uwabamiちゃん、現地取材でちょっとお勉強してきました!でも間違っていたらごめんなさいね!
3大一神教とは
成立の古い順からユダヤ教、キリスト教、イスラム教のことです。
この3つの宗教は唯一の神を信仰するという意味で一神教です。
ユダヤ教はYHWH(ヤハウェなどと呼びます)、キリスト教はイエス・キリストとゴッドと天使=父と子と精霊(三位一体なので神は1つとなる)、イスラム教はアッラーという神をそれぞれ信仰しています。
この3つ宗教は元々は家族のような宗教で、ユダヤ教が父でキリスト教が兄、イスラム教が弟みたいな感じです。
教典もユダヤ教はタナハ(旧約聖書)、キリスト教は新約聖書、イスラム教はコーランですが、イスラム教はタナハと新約聖書も教典として認めています。
教典に関して確執があるのは父と兄で、ユダヤ父ちゃんは長男(キリスト)の作った新しい約束(新約)を認めていません。「そんな新しい考え方なんて知らん!」という感じですね。長男のキリスト教は「いやいや、父ちゃんの考え方は古いって。」という感じです。次男のイスラムは「まあ、どっちの言い分も分かるけどね。」といったところでしょうか。
※イラスト・文章はあくまでイメージです!
さて、エルサレムにはこの3つの宗教の聖地があるといいます。それぞれ見てみましょう〜
岩のドーム・イスラム教 ムハンマド昇天の地
どかーん!金ピカな岩のドームは預言者ムハンマドが天馬に乗ってやってきて昇天したと言われる聖なる岩を囲んで建っています。
様々な言い伝えがあり、真偽が危ぶまれているところでもあるが、あくまでイスラム教視点としては、ここでムハンマドが昇天し、地下には最後の審判の日に全ての魂が集まる魂の井戸という洞窟があるとか。
現在はムスリム(イスラム教徒)以外の入場は禁止されているので外観とはらだをどうぞ。
うーん。金ピカで目立ちますね~。それもそのはず。モスクは制圧の記念にその町で1番目立つ建築物にするようにしていたそうで、決まった建築様式が無いそうですよ。
タイルは最近のもの。金ピカは金メッキ、大理石の柱も古いには古いそうですが、一番古いのは鱗状になっているガラスとこのスピーカー。(スピーカーは嘘ですよ!)
美しいですね〜!
岩のドームがある神殿の丘への入場は規制が厳しい?!
ルールとしてはイスラム教徒の心と精神を傷つけないこと!となっているそうですが、例えばどんなことなんでしょう?
・行動も慎むべし。ベタベタしない。両手をあげて派手に写真撮影ダメ。
・ビデオとタブレットダメ。
・宗教的なアクセサリーダメ。
・アルコールダメ。
・肌出ないように。
などなど。
肩を組んで写真を撮っている親子が注意されたり、ガイドさんがアブラハムって言っただけで怒られてました。なかなかシビアですね。
こういう銃持った人達がウロウロしてます。
でも変にビクビクしなくても大丈夫でしたけどね。覚悟して行った割には結構穏やかでしたよ〜。
これは礼拝前に体を清める水場。丁度おそうじしてました。ご苦労様です〜!
本当にここ!?聖地間違えてる説
実はムハンマド昇天の岩の真偽は定かではありません。
元々イスラム教の聖地はメッカとメディナしかなかったのですが、どちらもズベール族という民族の土地にあったので、ウマイヤ朝のアブドゥルマリク王がなんとか自分の土地にも聖地が欲しいと思い、688年に着工したそうです。
エルサレムをなんとかイスラム独自の聖地にしたかったアブドゥルマリクはコーランの一節、モハンマドの最後の旅を利用しました。
モハンマドは神秘の馬に乗って、最も神聖なモスクから最も遠いモスクへ旅し、天使を従え、エル=アクサから昇天した。
このエルアクサをエルサレムだという事にしたらちょうどよくね?
そうして神聖な岩が生まれましたとさ。
最も神聖なモスクはメッカのカアバ神殿と考えられます。あの黒い立方体の🕋。しかし、コーランの中でエルサレムのことは大シリア地方、近隣地方と書かれている。。。果たしてエルサレムは最も遠いモスクと呼べるのか?しかもエルサレムはコーランの中にほとんど出て来ない。重要ならもっと出てくるのでは?
そんな疑問から、この聖地は間違ってるんじゃないか説が強まっていますが、イスラム教徒の方は信じてますので言わないでね。
もっとも遠い神殿とされているのが岩のドームの向かい側にある、このエルアクサモスク(アル・アクサー寺院)。白い寺院と呼ばれるだけあって、白いですね笑
現存してるのは十字軍時代のものだそうですよ。(十字軍時代の建築の特徴はアーチが少しとんがっているそうです。)
現在はムスリムしか入場できないので外観とムトウをどうぞ。
何に使うの?ミニドーム
金ピカの大きなドームの脇には岩の小さなドームがあります。これの役割はまだ分かっておらず3説ありますがどれもあまり有力ではなさそう。
1.大きなドームの模型か? 似てない。
2.お金の埋蔵場所? 特に見つかってない。
3.ダビデの裁判所? 伝説なだけかも。
ダビデの裁判所とは、ダビデ王の時代の裁判方法で、天井から下がっている鎖に先に触れたほうが勝ちという肉弾戦な裁判があったそうで、ある時明らかに罪人の方が鎖に先に触れてしまい、うまく裁判できなかった事から後に鎖がなくなった。。。という謎の伝説があるそうです。
そんな裁判でよかったんかーい!と言いたくなりますが、ダビデも民を治めるのが大変だったのかな。
それにしても美しいですね〜。目の保養だわ〜。
ビューティホ〜!ワンダホ〜!中も見てみたかったな〜!
使える物はなんでもリサイクル!
岩のドーム、よく見るとこういう美しいレリーフが突然あったりします。これは棺桶の石を再利用したりするからだそうですよ!大理石とか貴重だから綺麗な棺桶は再利用するんですね。なんとなく不気味ですけどー。
イスラム教豆知識色々
イスラム教でお祈りの時間に爆音で流れるのはアザーンという礼拝を呼びかける声。キリスト教でいう鐘の音みたいなものです。このアザーンが流れる塔をミナレットといいますが、ミナレットの明かりは緑色が多いんですって。
なぜならイスラムでは緑は魔除けの色で、砂漠に緑がある、それは生きることができる色とされているからだそう。
キブラはメッカ(カアバ)の方向を表し、ミフラブという窪みで分かるようになっています。岩のドームの近くにも小さいミフラブがあります。
ミニサイズ!この窪みの方向にメッカがあるんですね〜!
モスクは跪くという意味なので、お祈りは必ずしもモスクでしないといけない訳ではないのですね。 どこで祈ってもいいのです〜。
イスラム教は、入るのは誰かイスラム教の証人がいて、コーランの一節を7回唱えたらオッケー!超簡単!しかし、入るのは簡単だけど脱退は死ぬまでできない!よく考えてからにしましょうね〜!
さて、神殿の丘近くにマムルーク朝(1250年から1517年)時代の建築の特徴を全て兼ねている建物が!
マムルーク朝の建築の特徴は
・入り口に階段がある。
・入り口の両側にベンチ。これをバンコといい、 銀行のバンクの語源となった。
・大理石をパズルのようにはめる。
・クローバーアーチがある。
・左右の上の方にガタガタ鍾乳洞みたいな飾りがある。
・緑のドア。
おー!確かにこれは完璧!!
マムルークはお金で買われた人の事。
スルタン(イスラム系の王様)はカイロに住んでましたが、戦士を集めて育てていた。ロシアのカフカス山脈で子供が成人するのは20パーセント。その過酷な環境を生き残った強い子供を買い取ってくる。
21歳くらいまでにイスラム教と戦いを叩き込まれ、その後は自由。国に帰ってもいいし、スルタンに仕えても良い。
兵士になるなら守るべき規則があり、1、お金を払って買ってくれた人に忠誠を尽くす。2、マムルークは一代限り。子孫を残す事は許されなかった。
子孫を残せなかった為にマムルーク朝はやがて弱くなり、滅んでしまう。。。
嘆きの壁・ユダヤ教 何を嘆いてるの?!
出ました!この壁なんの壁なの?って思った事ありませんか?はらだは中学生くらいの時からずっと気になってました。すごーい簡単に書くと、かつてのユダヤ教の神殿の城壁の一部が西の壁(嘆きの壁)です。詳しく見ていきましょう。
嘆きの壁は西の壁
ユダヤ教の聖地は世界中でここだけだそう。
彼らは壁に祈ってるのではなく、現在岩のドームがある場所に、かつてあったソロモンの神殿の跡に向かって祈っているんですって。
ソロモンの神殿とは、タナハ(旧約聖書)に出てくる、アーク(モーセの十戒が刻まれた石版を入れたお神輿みたいなもの)を安置していた神殿で紀元前10世紀頃建てられた。しかし、ソロモン王の後王国は北と南に分裂。
北はイスラエル王国でずっと不安定。アッシリアに滅ぼされてしまう。
南のユダ王国はアブラハムの12氏族の内のベニヤミン族とユダ族だったが、結局ユダの子孫だけ残ったのでユダヤ人という名前になったんですって!
神殿は何度か壊れていて、アークもいつの間にか無くなっています。
ヘロデ大王という変人が第二神殿という豪華な神殿を作りましたが、神殿の至聖所(アークを置く神聖な場所)は空っぽ。
イエスキリストの時代には既に第二神殿だったそうで、イエスも頻繁に通っていたそうですよ。
その第二神殿は70年にローマ軍によって破壊されます。しかし、神殿を囲む西側の城壁の壁がわずかに残っていて、それがいわゆる嘆きの壁(西の壁)なんですって!
つまり、ユダヤ人の先祖の城があった場所をしのんで祈っている、という訳ですね。ユダヤ教の人からすると別に嘆いている訳ではないそうです〜。
壁に向かって祈る習慣は17世紀の半ばに始まったもので、大地震で壊れた城外の壁を直してくれるならユダヤ人も入ってきて祈ってもいいよって事になり、自由に祈る事ができるようになりました!や〜ユダヤ人ってなんだかどこ行っても大変だな!
今のような広場にしたのは1967年から。我々のような無宗教の観光客でも入る事ができます。もちろん肌の露出を抑えて、宗教的なアクセサリーなどは身につけず、男性は帽子かキッパなどで頭を隠して入ります。
ムトウもキッパ被ってます!観光客向けにナイロンキッパレンタルがございますのでご安心を!
キッパって何?どうやってとまってるの?
カッパの皿みたいなこの帽子。キッパといい、ユダヤ教の男性は皆つけます。彼らにとっては下着のような存在で、外すととても恥ずかしい気がするそう。
ユダヤ教では神は天におられるので、頭の上を神に晒さないためにキッパを被るとか。
このキッパ、どうやってとまっているかというと、信仰の力です!!!ではなく、ピンでちょっととめてたりするそうですよ。キッパの種類やユダヤ教については別記事で後日書きますね!面白いですよ!
歴史の壁
壁は一番下から7段目までがヘロデ大王の頃の城壁。いわゆる第ニ神殿時代。(紀元前516年から紀元後70年頃)ヘロデ大王はマサダに激しい娯楽施設を作った変人で、ローマびいきな醜男。でも建築はすばらしく、この第二神殿も安っぽくなるから繋ぎなし!石の重みだけで立ってる。でもそれだと危ないのでよく見るとちょっとずつ上にいくにつれて内側になってるそうです。特徴は石の周りがぐるっと凹み、出てるところがツルツルに磨かれていたそうです。
わかりにくいかもですがこんな感じ。
その上に積んであるのはウマイヤ朝(661年から750年)の石。
さらにその上の小さい石はマムルーク朝(1250年から1517年)の石。。。と、この壁だけでも歴史オンパレード!
触ってみた感じは。。。
割とつるつる。そして冷たくひんやり。
欠けたりしてるけどどっしりと構えている感じ。
壁には様々な祈りの紙がびっしり。はらだは特に願いは書かず、平和を祈ってuwabamiオリジナルシールを差し込んできました。


お祭り騒ぎのユダヤ教徒
余談ですが、ちょうどユダヤ教の成人式の曜日(木曜日)だったためかお祭りのような賑わいを体感できました!
ユダヤ教の成人式?だそう。なんだかお祭りみたい!陽気🎶#イスラエル pic.twitter.com/vF0endSzbd
— uwabami9月発売!スパイスれっしゃでミンナデタベルモン (@uwabami_jp) June 29, 2019
キリスト教にとっての神殿の丘
実はキリスト教にとっての神殿の丘はそこまで聖地ではありません。旧約聖書的にはソロモンの神殿の跡ですし、ダビデがアークを置いた場所なので大切な場所ですが、キリスト自身がここへ通っていた事以外ですと、キリストが十字架上で絶命した際、第二神殿の至聖所の幕が真っ二つに割れたという伝説がある程度なのです。
どちらかというと、キリスト教の聖地は神殿の丘のすぐ近くにある聖墳墓教会です。聖墳墓教会はキリストが磔刑されたゴルゴタの丘の上に建っています。聖墳墓教会については別記事を書きますのでそちらをご覧ください〜。
以上!神殿の丘についてでした!他の記事も少々お待ちくださいね〜!