uwabami days

アーティスト活動を生業とする三鷹在住アートユニットuwabamiの日々

赤さん 1 妊娠した!?

2020年4月に母になった、はらだの独り言のような日記ブログ。徒然なるままに書きました。

 

元々結婚もしなそう、ましてや子供なんて育てられなそうと思っていた自分が、運命のようにパートナーと出会い、ついには令和婚し、赤さんを授かった。

人生何が起こるかわからない。

そう、私の妊娠が発覚したのはムトウ氏が顔面神経麻痺になった時だった。

ある朝突然、ムトウ氏の顔の半分が動かなくなった。前日になんだか頭痛がしてピントが合わないと言いながら絵を描いていたムトウ氏。メガネが合わないのかな?などと言ってあまり気にしていなかった。今思えば前兆だったに違いない。すぐにネットで調べて、おそらく顔面神経麻痺だろうとなり、耳鼻咽喉科に行くらしいとなり、朝一番で耳鼻咽喉科に行ってもらった。しかし、もっと大きい病院で診てもらうよう指示され、すぐに近くの大学病院へ行く事になり、薬を飲むか入院して点滴かを選ぶ事に。

ムトウ氏は入院がストレスになりそうなので薬を選び、勝手に思い込んだ雰囲気的には「ま、若いから早く治るんじゃない」的な雰囲気だったので、そこまで深刻に受け止めていなかった。

しかし、1週間薬を飲んでも全く治らない。おかしい。日に日に落ち込んでいくムトウ氏を見ていると泣けてくる。そして発病から1週間して再検査。入院か通院を迫られる。ガーン。しかもこのままでは後遺症が残るかもしれないと言われたらしく、私の心臓はかなりのBPMを刻んでいた。

ここで初めてイベントの仕事をキャンセルした。約9年活動していて初めてのイベントキャンセル。私は極力明るく振る舞おうと務め、ムトウ氏を励まそうと努力した。ものの、この時点で妊娠を薄々感づいていたので内心は様々な感情が駆け回っていた。しかし、今のムトウ氏に告げるべきか、否か。

とりあえず何か自分に出来ることはないかと、ムトウ氏が通院している間に部屋を片っ端から掃除してみた。家でじっとしてると泣けてくるから、掃除はとてもいい気晴らしになった。赤毛のアンで、マリラが取り乱しそうになると黙々と掃除する気持ちがよく分かった。

そして、母の気持ちがよく分かった。

祖母が半身麻痺で施設に入っている時、母がずっと祖母の側に居るべきだと無知な私は母を責めた事がある。しかし、側に大切な人がいて、自分が大して何もしてあげられない時、なんと己の無力さを感じる事だろう。。。母を責めて申し訳なかったと心から思った。

そんな時に我が赤さんは我が体内に誕生した!!!

発病から11日目、ムトウ氏の落ち込みと私のマタニティブルー的なものが一致してしまい、ものすごく暗い雰囲気になった。かつてのuwabamiにこんなにも重い空気が立ち込めた日があったろうかというほど。まだムトウ氏には赤さんの事は言っていない。もう少し待とう。うむ。

私は突然、「海を見に行こう」と言い出し、勢いで横浜方面にムトウ氏を連れ出した。様々なお仕事の締切はあったものの、家でダークサイドに落ちてるよりマシだ!と半ば現実逃避含めて出かけた。ムトウ氏も徐々に気分を持ち直してくれて、本気で嬉しかった。

そして、ついにムトウ氏に告げた。

「多分、妊娠した。」

そしてその三日後、妊娠チェッカーは見事に陽性を示し、かなり実感を伴ってきた。が、まだ我が身に赤さんがいるとは半信半疑である。

しかし、麻痺で薬漬けになってしまったムトウ氏は「しばらく子どもは無理そうだね」と言っていたので、薬前の赤さんが奇跡のように思われた。なんというタイミング!

その頃は毎日、映画を観たり、散歩に出かけたり、出来るだけのんびりするよう心がけた。元々じっとしていられないタイプの私は、こんなにものんびり過ごした事は人生で初ではないかと思うくらいゆっくり過ごした。睡眠もとりまくり、麻痺のムトウ氏より寝てるのではないかというくらい寝た。

しかし、不安の波は繰り返してやってくる。

そんな時に心強い正義の味方が現れた!ムトウ氏の兄のユースケさんである!ユースケさんは顔面麻痺を心配して色々調べてくれ、我々に、鍼治療という方法もあるみたいだと教えてくれた。

一刻も早く治りたいuwabamiとしては藁にもすがる思いで鍼を検索しまくり、通う事にした。治療費はなかなかにお高い。しかし、鍼に通うようになって4回目くらいから、少しずつ反応が出てくるようになった!

う、動いた!!!!

これはクララが立った的な感動があった。

その頃私は正式にレディースクリニックで妊娠を確認したのだった。

 

 

続く