2020年4月に母になった、はらだの独り言のような日記ブログ。徒然なるままに書きました。
運命とは不思議なものである。
世界は突然変わるものなのかもしれない。
本当に私は生まれ変わるような経験をした。
4月4日生後2日目。
午前中、赤さんは元気にオッパイを探したり、うんちしたり、すやすや眠ったりしていた。
午後13時頃までは一緒にいて、面会できないムトウ氏のために写真を撮ったりしていた。(新型コロナウィルスのため、父だけど面会できなかったムトウ氏)
そこから、検査のために赤さんは小児科に行ってきた。血液検査の結果、溶連菌の値が通常より高めのため、小児科に入院する事になった。私が溶連菌をもっていたので、覚悟はしていたつもりだけど、さっきまで抱いていた我が子を抱けないと思うと切なくなってしまった。
夫が来るなら詳しい話を揃って聞いてもらう、との事だったので、急遽ムトウ氏を召喚。残念だけどしかたない。そうこうしているうちにも、赤さんの呼吸は浅くなっていき、苦しそうで、酸素の値があまりよろしくなく、呼吸器をつけて、黄疸の治療とともに、検査を続ける事になった。入院の説明を一通り聞き、書類にサインし、19時頃入院手続き終了し、ムトウ氏は帰宅。
部屋に戻ったところ、またまた小児科の先生からお話があるとの事。
そして、私に何かが降臨した。
前回話をしてくれた小児科の先生とは別の先生が紙を用意して図解しながら説明してくれた。
総肺静脈還流異常症。
赤さんの心臓には肺静脈が無い、というのだ!!!
なんじゃあそりゃあ!?!?!?
しかし、パニクっても仕方がない。ここは肝を据える。「赤ちゃんの心臓の手術はとても難しいのでここではできません。榊原記念病院は東日本一の病院でオススメですのでそちらに搬送していいですか?」「お願いします!」「ご両親はどのように病院行きますか?」「夫とここで合流してタクシーで行きます!」「では、お母さんは医師から外出許可をもらってください」
そして赤さんは救急車で榊原記念病院へ搬送される。
「ムトウくん、落ち着いて聞いてね。赤さんには、心臓にくっついているはずの肺静脈が、無いらしい!!それで、手術をする事になって、榊原記念病院って所に搬送されます!とりあえず向こうの先生の話を一緒に聞くために、まずはここに来て!」
これが20時。
私は速やかに外出許可をもらい、身支度を整え、ムトウ氏と合流。タクシーで榊原記念病院へ向かう。
全てが夢のようだ。
ムトウ氏とお互い手をとりあって、夢を見ているみたいだ。
到着すると、まずは小児科の先生から説明を受ける。最初、「お母さんですか?」と聞かれて、「はい!あの、何か変でしょうか?」と聞いたら、「産後2日でよく向こうの病院が出してくれたなぁと思って」と言われて、そうか、私、産んだばっかりだった、と気づく。しかし、私はこの時、何かが降臨していて、別人のようにハキハキとしていた。
先生はとても丁寧で、これがどんな病気で、赤さんの場合はこのような状態で、どんなリスクがあるか。明日の8時に外科の先生から詳しく説明があり、9時から手術の予定との事。頭がどんどん冴えてくる。様々な書類にサインをし、とにかくよろしくお願い致しますと心から頭をさげ、ひとまずはお産をした病院(杏林大学病院)に戻る。
すでにほぼ0時。私は自分が2日前に破水してお産した事をもはや忘れていた。お腹がペコペコで、とりあえず食べれるものを食べまくり、飲みまくってみた。
そしてベッドに横になり、天井を眺めていた。
この時私は神様に祈ったりしなかった。
ただひたすらに赤さんの生命力を信じていた。
そして、どんな事になっても、ムトウ氏と私、uwabamiなら絶対に乗り越えていけると信じていた。
夢みたいだ、というのもあったけど、不思議と落ち着いていて、涙も出なかった。
ただ、今はしっかり食べて、しっかり休んで、体を整えて、肝を据えて、明日の手術に臨む事が赤さんのためだ、と思って眠った。
4月5日の朝7時。病院のタクシー乗り場でムトウ氏と合流して榊原記念病院へ向かう。
すごいな、と思うのは病院同士の連携ぶりと情報共有の速さ。武藤ベビーの両親ですと言えば、夜勤の受付の人から看護師までみんな分かるのがすごい。朝も昨日と同じ受付の人がいて、すぐに通してくれた。ありがたい。
8時から外科の先生による手術の詳細の説明がある予定だった。赤さんは一応酸素吸入などして安定していそうな様子。麻酔の先生からも挨拶があり、まずは全身麻酔から始めるとの事。新生児の麻酔やカテーテルは大人でいうと、ボールペンくらいの管を刺すのに等しく、数ミリずれたら危険な作業。体力勝負なところもあり、リスクはあるが、ご了承くださいと言われ、生唾を飲む。ここでもまた書類にサイン。一体いくつの書類にサインをするのか、というほどたくさんサインした。そして、8時過ぎ、外科の先生からの説明。非常に危険で難しい手術だが、今後の事を考えると、今すぐやるべき手術だとの事。
全ての説明を聞き終え、心からよろしくお願い致します!と頭を下げ、エレベーター前で集中治療室(ICU)に運ばれる赤さんを見送るとき、一瞬だけマスクを外して笑顔で見送った。きっと大丈夫!あなたならできるよ!!!と、笑顔で送り出してあげたかったから。
赤さんが見えなくなった瞬間、今までずっと出なかった涙が溢れそうになり、上を向いて耐えた。涙は嬉し涙までとっておくんだ!しかし、ちょっと溢れた。
いよいよ9時から手術が始まった。
3時間かかる手術をただ待合室で待つには気持ちが持たないので一旦外出する事に。
外は桜が散り始め、空気が春を含んでいた。病院の脇のベンチでコンビニのコーヒーとココアを飲みながら、ぼーっとしていた。こんな時でもというか、こんな時だからかお腹が空く。緊張感からくる空腹なのかもしれない。
その時、私とムトウ氏は、ここ数日で人生が激変して、生まれ変わった気がするね。と語り合った。今までに経験した事のない、理解の範疇を超えた未知の世界の色を見た気がする。
そして、私とムトウ氏の気持ちはひとつだと、何も言葉にしなくても分かった。私達は完全にチームになっていた。赤さんも含めて、運命共同体のチームだった。
生きる事、何気ない日常のありがたさや美しさが身体中に染み渡ってくる。
どんな事があっても、世界は美しい。その世界を、赤さんと一緒に生きるのだという気持ちでいっぱいだった。旅もたくさんしたいし、美味しいものもたくさん食べたい。花の匂いをかいだり、星空を眺めたりしたい。
新型コロナウィルスで世界は騒がしかったけど、今は目の前の命の事で身体が震えるようだった。新型コロナウィルスも、日常のありがたさを人類に実感させるための何かなのかもしれない、などとぼーっと考えていた。
後半の時間、私は搾乳をして過ごした。しっかり食べて、良い母乳を作り、赤さんに届けなければ、と気合を入れていた。初乳はとても大切だと聞いた事があるし、ちょっとでも搾乳しておきたかった。本当にまだせいぜい10ミリとかのちょっぴりしか出ないのだけど。
そうこうしているうちに、3時間経った。
ICUの待合室に戻り、呼び出されるのを待った。
なかなか時間ピッタリには呼び出されないものだ。鼓動はリラックスしようと努めても、なかなか思うように落ち着いてはくれない。
遂に呼び出され、出入口でしっかりと手を洗い、消毒し、案内に従って個室の中に入る。
外科の先生からの説明。
「予定の手術全ては成功しました。胸も無事閉じました。一度面会していただき、あとは1時間経過を見るので、そのまま待合室でお待ちください。」
「ありがとうございます!!!!!!」
私は机に突っ伏すように頭を下げて感謝した。そして、下げた頭があげられなかった。
手術の成功への安堵で全身が震えて動けなかった。そして遂には堪えていた涙がドドドと溢れてきた。
「では、面会へどうぞ」
と言われ、ドキドキしながら案内について行く。ICUの中はカーテンで仕切られ、沢山の患者さんがいるようだった。重々しい機材がたくさんある中、こちらですと言われ、中を覗く。
赤さーん!!!!!
いっぱい管のついた小さな赤さんが眠っていた。
「よく頑張ったねぇ。さすが赤さんだ!すごいねぇ。ありがとうねぇ。」
側まで近寄り、私は嗚咽しながら我が子を誇らしく思った。産まれて3日目でこんな試練を乗り越えたんだもの。もはや先輩。尊敬すべき人だと思った。そして愛おしいという意味を再認識した。いや、初めて愛おしいという感覚を知ったのだと思う。
この小さな体の小さく震えている心臓よ、頑張ってくれたまえ!と心から願いながら、涙が止まらなかった。
先生たちは少し離れた所にズラリと整列していて、「当院の精鋭チームでオペさせていただきました。」と告げられた。私は先生達が救世主にしか見えなかった。輝いて見えた。
「本当に、ありがとうございましたっ」
もう、涙がボロボロ、後から後から溢れ出て、ムトウ氏の腕にすがらないと歩けないくらいだった。
待合室に戻って、私とムトウ氏は抱き合って泣いた。今回は嬉し泣きだから泣いていいと思えた。私は人目もはばからず嗚咽を繰り返して号泣した。
思い出せなかったのだ、今まで。赤さんと一緒に過ごした数時間を。思い出したら泣くと分かっていたから、できるだけ考えないようにしていたのだ。でも今、手術が成功した今、その温かさや、柔らかさ、匂い、可愛い仕草、その全てが鮮明に思い出されて、後から後から嗚咽が止まらなかった。
1時間待合室で経過を待ち、問題ないと報告を受けてまた更に安堵した。明日も面会できると聞いたので、とても嬉しかった。もちろん、まだ予断は許さない状況だ。拒絶反応や体力低下もありうるのだから。でも、そんな事心配しても仕方ないのだ。悪い方に考えるのは良くない。万事うまく行く事だけを想像して過ごした。大きくなって元気に走り回る赤さんの姿を想像した。
ムトウ氏と一緒にいれる時間も貴重だ。コロナで面会できない今、産院に戻れば離れ離れだ。
私達は赤さんを通して親になるのはどういう事かという事を最初から思い知らされたような気がした。本当に世界が変わったみたいだね。まだ全部夢みたいだね。でもuwabamiなら乗り越えていけるよね。と二人で何度も話し合った。
私は出産からまだ3日目だという事を完全に忘れていた。
多分続く。
続きの出来事は2021年1月現在、バタバタしていてまだ書けていません。
赤さんは医師たちもびっくりするほどの回復力で回復し、今は普通の子と変わらない成長っぷりを発揮していますのでご安心ください!
赤さんの退院までの流れが参考になる人もいるかもしれないので、時間がかかってもできるだけ書こうと思っているのですが、子育て満喫しすぎてなかなか進んでいません〜(笑)
長文読んでいただきありがとうございました!